なんとなく続けている消極的な習慣について

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 最近ポケモンの赤を3DSでやっています。いわゆるバーチャルコンソール(VC)ってやつですね。今年の九月にはポケモン金・銀のVCが発売されるそうで、本当に楽しみです。
 ずっと前から思っていることですが、ゲームの何が一番印象に残るかというとやはり音楽やその他の音全般なんですね。あくまで僕にとっての話でしかないのですが、初代ポケモンで言うならジムリーダーのBGMなんかそう。まさに戦闘が始まる時に現れる「あの」感じ、あの瞬間に世界が変わる体験……大げさな言い方ですが、小さい頃はこの部分を聴きたいがためにポケモンをしていたんだという実感があります。もしくは、ジムリーダーでない他の男トレーナー一般のBGM冒頭が、トレーナーがこっちに近づいてくる時の足の動きにちょうど同調してる感じ(「テッテッタラララーラーラーラーラー」の「テッテッ」の部分)とか、もはや呪わしいほどにしっくりきていたと思います。それは久々に再プレイしてる今でも同じですね。

 ゲームに限らず、何ということのない、何の目的もなく時間を過ごすことは無為であるという通念はわりと根強いものだと思います。中でもゲームは特にそうで、一部のゲーマーが廃人という蔑称じみた称号をもって呼ばれるのはこのためでしょう。後で振り返って、あああの意味の無さそうな時間には意味があったんだと思えたら幸せですが、なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだと後悔してしまうと辛いです。まあゲームに関して言うと、僕個人としては東方Projectなんかやってたら過去にやってたゲームの記憶が蘇ってきて、それがすごく生き生きと頭の中で色づいてきたりするために「あああの時ゲームをやってたのは悪いことじゃなかったんだ……」とか沁み入るような想念が脳裡をよぎっていくんですね。つまり東方はこれまでのゲーム体験を肯定してくれるというすごい作用を持っているわけです。あくまで僕にとってですが。

 さて、現代人がやってしまう無為(かもしれない)な時間の過ごし方と言えばやっぱりスマホですよね。特にやることがないとき──いや、何かしないといけないことがあったとしても、その期限が大して近いところになかったりすると──いやいやともすれば、その期限がすぐ迫っていても、とりあえず何となく、スマホのモニターを点けてネットサーフィンなりなんなりして時間をつぶしてしまうのはよくあることじゃないでしょうか。もちろんスマホゲームの存在だって大きい。いわゆるコンシューマーゲーム、要するにゲーム機でやるゲームと違って、スマホのそれはユーザーに何とかして時間を使わせるようにできているし、特に理由もなくスマホとともに時間を過ごしてしまうのは最近だと誰にもありがちなことだと思います。
 それはもちろん僕だって当てはまるわけですが、「この時間を読書に充てていたら……!」という後悔はもうずっと何回もしている。しているんですが、しかしスマホを触る習慣は簡単には抜けそうにもなく、スマホを操作するという半ば自発的な動作を行っているにも関わらず鬱憤を堆積させていきしかもその堆積物を処理したりどけたりすることもせず指をくわえたまま過ごすという、かなり最悪な消極を続けていました。
 これはいけないともちろんずっと前から思っている。だから本は買うし、読もうともするけど、なかなか難しい。内容が頭に入ってこず、本と向き合う姿勢が持続しない。だってなにしろ、スマホを触ってるほうが圧倒的に楽です。
 本を読むことは前進しようとする意志によるものです。それを何とか行使して自分に本を読ませようとしても、こっちは続かない。でも、最悪な消極の行為は続けようとしなくても勝手に続く。自分の意志の力はこんなに弱いのか? とやや絶望しかけていましたが、他の人はどうなんだろうとある時から気になっていきました。それで最近身の回りの人に、「家でなにして過ごしてる?」と聞いてみると、まず第一声に「スマホでゲームしてる」が来て、次に「寝てる」「何もしてない」、たまに「テレビ見てる」なんかが返ってきたりという具合でした。みんなわりとそうだったんですね。
 だからといって安心するわけにはいかない。まあ、先ほど述べたとおり、スマホを触っている時間が全く無駄なのかというとその通りだと言い切ることは現時点ではできませんが、しかし自分の生活がスマホ一色というのはどうも貧しい気がしてならない。そこで、スマホを持つ前はどうだったか、を思い出してみました。もちろんスマホを持つ前はガラケーを持っていたけれど、その頃も割と似たような感じだったので、さらにその前。
 小学校高学年の時分、僕は家では勉強するように親から言われていました。中学受験があったからですね。やらないといけない問題集がでんと目の前にあって、これに加えて塾に行くたび宿題も持って帰ってくるし、とにかく課されてることはたくさんあった。
 しかしこの時期にはなんかやたら本を読んでたんですよね。それはもちろん多分には現実逃避のためです。というかほとんどそうだった。勉強机の棚にいくつか立てかけてあった文庫本を、何ともなしに時々手にとっては何ページかぱらぱらとめくる。どの一冊ももうすでに読んだものばかりでしたが、それでも問題を解くよりはこっちの方がいい。棚に並んだうちの一冊の背に指を引っかけて取り出し、開いたページをとりあえず読むという感じでした。
 今思うと、この無目的さは現在のスマホのそれとあまり変わらないように思います。しなくてはいけないことがあるにもかかわらずそれを無視して別のことをする、そうやってただとりあえず時間をつぶす。読み方だって律儀に一冊の頭から読むわけでもないし、章の最初から始めないことだって多い。とにかくどんなものでもいいから勉強以外のものを読んでいたかった、それに終始した行為でした。
 でもおそらく、そういった習慣があったからこそ、僕は文章を書くのが好きになったんだと思います。あの体験があったから、何度も何度も同じ言葉を繰り返し辿り巡りなおしていたから、こうして表現の工夫のいちいちを楽しむことができる。好きだったある一節を、何度も何度も、そこにそれがあることを確かめるように、それが自分のすぐそばにあることを心底喜んでいたから、言葉の表現の喜びを知っている。そしてそれを他の人にわかってもらおうと文章を書く。えらく美化して書いていますが、それが美しいという感傷じみた沈黙のような溺れが、砂漠のような生活に希望を与えてくれている。あくまで僕の場合はですけれどもね。
 この習慣は、高校生になってから再び体験されることになります。なぜそんなことをしていたかというと、一つにはやはり辛かったから、あるいは面白くなかったからですね。
 何が辛かったのか、面白くなかったのか、と問われて、明確な答えを返すことはできません。あえて言うなら、自分の意志によって自分が前に進むことができるという自信がなかった。勉強したからといって成績が必ず上がるというわけでもなく、また成績が上がったからといって将来の受験で成功すると保証されているわけでもなく、もし受験でうまくいったとしても自分の満足できる何か、成功とか達成とか幸せや喜びの達成があるとわかるわけでもない──小学校の時にしていた中学受験の勉強だって自分の意志によって成績を勝ち得ていたのでなく、親の怒りを買わないように命じられたとおりにしていた結果のものだったという無力な状況を長らく体験していたのも大きかったのかもしれません。とにかく、勉強ができる自分という像を肯定的にとらえることができないせいで、勉強さえしていればいいという風に自身の心を納得させることが僕にはできませんでした。生き方が下手くそなのはこの頃からすでに始まっていたようで、勉強しようとするとすぐにその行為をせき止めようとする拒絶を僕の心身は起こしました……なんだか勉強ができなかったことへの言い訳を長く続けてしまいましたが、実際のところ同級生で一番成績が良かった奴は全く勉強しなくて(本当に全く)もあっさり点数を取っていたりしたし、だから不出来をなじられても否定するつもりは特にない。せめてその程度には潔くしておくくらいの分別は、一応ある。
 いずれにせよ、自分の意志が取った行動によって自分の時間を肯定的に前へ進められるという感覚がありえないくらい僕には欠如していたわけですが、その虚ろさからの逃避として、既に何回も読んだ本をまた読み返すということを僕は個人的な習いとしていました。だけれど、やはりそんなことを繰り返しているとやはり同じ本である以上飽きるのであって、その隣にある別の本を読んだりもしたりしたわけです。そうやって色々な本を読んでいた過去があったんですね。

 さて、冒頭で述べた、無為かもしれない時間の過ごし方に話を戻すと、結局のところ積極的な意志をもってして生活を意味あるものとするのは非常に難しいのだとわかります。しつこいようですが、あくまで僕の場合です。スマホを触ることに終始してしまうという生活態度へ向けたさしあたっての処方箋としては、そんなことをしてしまう理由が慢性的な辛さによるものであり、そしてその理由は慢性的な無力感にある、報われるという将来像、前進できるという自信や自負のなさにあるのだとよくわかっておくことではないでしょうか。そしてまあ、仕方なくという形でいいから、適当にとりあえず本を読むくらいでいい。それに差し支えるくらい本の内容が難しいなら、読まなくていい。それができる時があるとすれば、きっと自信とかいうものが十分心に満ちたときなのでしょう。家でいる時スマホが手放せないという方で、こういった省察に少しでも共感してくれる人がいれば嬉しいです。よくない習慣をなくすのは大変ですよね。僕はひとまず、心の安寧を得るために3DSを起動してユンゲラーを育てようと思います。